梅雨葵 7


 梅雨が明けたことで、公園にはクラスメイトがよく足を運ぶようになっていた。よって、今までのように公園にアコギを持ち出して練習することはできない。
 もちろん家でもうるさいからできないし、そもそも父が高いギターを弾くのを許してくれるとは思えない。
 さしあたり、僕が最初にしなくちゃいけないことは、練習場所探しだった。


 ダメもとでギター教室に通えないか母に相談したが、どうせすぐに飽きるでしょ、と一蹴されてしまった。ギター教室もダメとなると、残りは学校ぐらいだ。僕の頭で思いつくのはそんなものだ。


 放課後、ほとんど人が残っていない校舎の中で弾けそうな場所を探す。一番最初に思いついたのはやはり音楽室だった。
 いつも放課後は鍵がかけられているはずだが、たまたま、今日はなぜか開いていた。


(先生に頼んだら、いつも開けてもらえるかな?)


 理由を聞かれたらどうしよう。ギターを弾きたいと言ったら、笑われるかもしれない。
 それ以前にギターに詳しい先生が父のギターを見たら、あれこれ質問されて親に連絡が行くのは間違いない。
 ダメだ、鍵がかかってない部屋を探さないといけない。振り返り音楽室の入口へ戻ろうとすると、誰かが扉を開けて音楽室に入ってきた。


「あら、大志くん? どうしたのこんなところで」


 担任の布川先生だ。部屋の施錠チェックに来たのだろうか。


「あ、えっと……、ギターを弾ける場所を探してました」


 つい、素直にギターの話をしてしまった。もしかしたら、勝手に持ち出していることがバレてしまうんじゃないのかと不安になる。


「へぇーすごい! 大志くんはギターが弾けるのね!」
「いや、弾けないです」


 褒められるのに慣れていなくて、素っ気ない返しをしてしまう。こういう不器用な返事が、親や先生を心配にさせてしまうと思うと、胸が苦しくなった。
 そんな僕の言葉を聞いていないのか、布川先生はロッカーに小走りし、中から黒いケースを引っ張り出してくる。


「これ、学校のギターだけど、弾いてみる?」


 現れたのは、いつも雨音との練習に使っていたようなアコースティックギターだった。
 まさか、学校にアコギが置いてあるとは思わなかった。全員分は揃わないから授業で使ってないのだろうか。


「いいんですか?」
「もちろん。先生に言えば、放課後も練習していいよ」


 こうして僕は、先生お墨付きの新たな練習場所とアコギを確保することができた。それから毎日放課後は音楽室へ行き、指先が動かなくなるまで練習を繰り返した。


 あんまり遅くまでいると、布川先生に下校を促されるようになったので、親に連絡されたら面倒になるかもしれないと思い、早めに練習を切り上げることにする。
 その分、休憩しないで真剣に弾こうとすると、少しづつセーハというコードも押さえられるようになってきた。全部弾けるようになるまで、もう少しだ。


***



 指先の皮が裂けている。まだだ、まだ頑張れる。夏休みに入っても僕はほとんど毎日学校に通い、ずっとアコギを借りて弾いていた。そしてこの日、僕は初めて成功する。


「やった! 全部通して弾けた!」


 初めてもう一ヶ月半。ついに難しいのを含めた全てのコードを最初から最後まで間違えずに弾くことができた。
 その達成感に、思わず声が出てしまう。恥ずかしくなって、一応誰もいないことを確認する。


(早く、雨音に聞かせたいな)


 しかし、残念ながら雨音に会えるのは来年だ。それまでには、もっと完璧に仕上げておきたい。
 むしろそのための時間がたくさんあると考えたら、前向きになれた。同時に、最後の日に雨音に言われた言葉を思い出す。




『そんなの、弾き語りをするために決まってるじゃん。コードだけだとつまらないでしょ?』




 不思議なことに、一つのことをやり遂げると、別のこともできるんじゃないかと錯覚してくる。
 アコギが弾けたなら、歌も歌えるんじゃないかと、ほんの少しの好奇心が湧いてくる。


 楽譜の歌詞を見ながら、恐る恐る雨音が口ずさんでいたあの歌を歌ってみる。
 声変わりもしていない僕の声は不安定に震えていたが、アコギの伴奏に支えられてなんとか音の体裁を保ってはいる。


 それでも多分、きっと、間違いなく、みんなが口を揃えて音痴だと笑うだろうけど、僕にとってはそれが、何かのきっかけになった気がした。
 なにかが噛み合ったような、何とも言えない気持ちが溢れてくる。


 呼吸を整えて、もう一度歌う。まだ震えている。僕が臆病者だからなのか。
 雨音が最初に歌った時はどうだったんだろう? 雨音が聞いたらなんて言うだろう。褒めてくれるだろうか?


(いや、絶対褒めない。雨音は気休めの嘘をつくような人じゃない。でも、きっとバカにしたりはしない。きっと、雨音は――)


 そうして何度も歌う。記憶とギターの伴奏を頼りにして、何度も歌う。
 雨音のようになりたくて、一歩ずつでも近づきたくて。そうやって、上達して、雨音を驚かせてやりたい。


 僕の夏休みの最後の日まで、学校に通い弾き語りを続けた。


***