梅雨葵 4


 ある日を境に、四日ほど雨の降らない日が続いた。それまで毎日なんとなく会っていたが、急に会えなくなると言いようもない気分がこみ上げてくる。
 通学路を帰るが、今日も公園からギターの音は聞こえてこない。だから家にまっすぐ帰ると、母にこんなことを言われた。


「なに大志。雨の日は遊んで帰ってくるのに、晴れの日は寄り道しないで帰ってくるの? おかしな子ね」


 僕は別にいいでしょ、と反抗的な言葉をぶつけて部屋に閉じこもる。雨音に会っていることは、親には内緒にしていたので、あれこれ聞かれるのは避けたかった。
 適当に宿題をしているふりをしてやり過ごそうと机に向かっている姿を確認したためか、母もそれ以上追及することはなかった。


 それから漫画を読んだりしていたが、どうにも落ち着かなかった。
 僕の興味は、明日の天気予報にばかり向いていたが、携帯電話も持っておらず、部屋にテレビもないため確認する術はない。


 やがて夕飯の時間と重なるように父が帰宅し、リビングに呼ばれる。僕は今日の夕飯が何なのかを確認するよりも先に、テレビのリモコンを操作して電源を付けた。
 明日の天気は90%の雨で、それ以降の週間天気もずっと連続して雨マークだった。


「やだ、もしかしてもう梅雨が明けたかと思ったのに、もうずっと雨じゃない。洗濯物が乾かないわ」
「だったら乾燥機を使えばいいだろう?」
「電気代が馬鹿にならないわ。その分、あなたの小遣いから削りましょうか?」


 喜ぶ僕とは反対に、両親にとって雨は憂鬱だったようだ。雨の話から小遣いの減額の話に移って、父はひどくうろたえている。
 さっさとハンバーグを平らげ部屋に引き上げ、明日のことを考えた。僕は遠足も修学旅行も好きな方じゃなかったが、きっとクラスのみんなは、その前日にはこんな気分になるのだろう。


 いつの間にか、雨音に会うのが楽しみになっていることに自分でも驚いた。その日は何度も寝返りを打ち、なかなか寝付けなかった。


***



 翌日。天気予報のとおり、空は薄暗い雨模様をしていたが、逆に僕の心は晴れ晴れとしていた。
 学校の授業は、だいぶ上の空で聞いていたと思う。浮き足立っているうちに放課後となり、僕は雨の中を走りながら公園に向かう。
 途中何度も水たまりを踏み、服が泥で汚れてしまっても気にせずに進む。


 やがて、ずっと聞きたかったあの音色が聞こえてくる。間違いない。今日は雨音に会える。


「雨音!」


 公園に足を踏み入れながら名前を呼ぶ。いつものベンチに腰をかけながら、いつものように雨音はアコギを弾いていた。
 呼ばれたことに気がつくと、雨音はこちらに笑いかけて手を振る。ゆっくりと僕は雨音の元へ向かう。少し見ない間に、公園の大きな花はすこし満開に近づいていた。


「やあ。また今日も来たの? 大志は暇だね」


 雨音の言葉に、僕は少し苛ついた。こちらはずっと会いたがっていたのに、その言い草はないだろう。
 昨日から頭に並べていた話したかったことは、どこかへ行ってしまった。かわりに、ちょっと刺のある言葉が出てしまう。


「なんだよその言い方。ずっと雨降らなくて会えなくて心配していたのに」
「ずっと降らなかった?――あ、そっか、ごめん」


 雨音は引っかかるような言い方をする。


「私、雨が降ってない時は意識がないの。私の中じゃ、君には昨日も一昨日も会っていることになっているから」


 突然のことで、どういうことか分からない。そういう顔をしていたからなのか、彼女はさらに詳しく教えてくれた。


「えっとね、雨の降ってない日は、私の時間は流れないの。私にとっては、君が過ごした晴れの日の分がそのまま飛んでいるから、毎日会ってるように感じるの」


 雨の日は毎日彼女に会っていた。僕にとっては5日ぶりでも、雨音にとっては全て連続していることになる。
 だから、最初の発言は彼女は何も悪くないということになるが、バツが悪くてそのままの態度で話をしてしまう。


「だとしても、暇ってなんだよ。だいたい、雨音だって一日中ギターを弾いてるだけじゃないか。暇なのはそっちだって一緒でしょ?」
「そりゃ暇だよ、だって幽霊だもの。死んでからぐらいゆっくりさせてよ」


 僕は苛立ちながら言うが、雨音にとっては文字通り子供をあやすようなものなのだろう。どこ吹く風という具合にいなされる。


「でも、会いに来てくれたのに暇はなかったね。謝るよ。ごめん」
「……謝ってくれればいいんだけど」


 本当は、こちらも謝らなければならないとは考えていたが、素直に謝れるほど、僕は大人じゃなかった。
 そうしてちょっと空いてしまった会話の間に入るように、ノラさんが現れた。こいつも久しぶりに雨音に会えたのが嬉しかったのか、喉を鳴らしながら彼女の足元に擦り寄っている。


「おーノラさん。どうした? 今日はデレデレだねー」


 今なら触れるかと思い、手を出したらすぐさま引っ掻かれた。やはりかわいげのない猫だ。


「ノラさん人見知り激しいからね。諦めないで接していたらそのうち触らせてくれるよ」


 喉を撫でくりまわされ満足したのか、あるいは嫌がってなのか、ノラさんはすぐにどこかへ行ってしまった。
 去っていった方に手を振っていた雨音はこちらに向き直って言う。


「でも、私が毎日会ってるってことは、雨の日はいつもここに来てるんだよね? 晴れてる時は何してるの?」
「別に何も。そのまま家にまっすぐ帰って部屋で漫画読んだりしてる」
「友達と遊ばないの? この公園とかでさ」


 ああ、やはり雨音もそう言うのか。子供は友達と遊ぶのが、世界共通の常識だという風に。


「僕、友達いないから。一人の方が気楽」


 昔からそうだった。僕は特に同世代の子と会話するのが苦手で、いつも一人でいた。
 ああいった無邪気さが、僕には無いのだ。クラスに居ると、ザーザーとラジオのノイズのような雑音がずっと胸の中から聞こえてくる。


 そして、そういう事を言って、親や先生を困らせていることは十分承知していた。雨音も僕のことをおかしな子だと思うのだろうか。


「そうなの? じゃあ私が友達になってあげる」


 意外な言葉が帰ってきた。顔が熱くなる。どうしてだろう? また素直になれず、否定的な言葉をつい出してしまう。


「いい、一人が好きだから」
「む。素直じゃないな。本当は嬉しいくせに」


 顔に出てるぞ、と頬をつつかれる。子供扱いされ――いや、子供なのだけど、むっとして反論しようとする前に、雨音はある提案をした。


「友達になった記念に、アコギを教えてあげるよ。ギター、弾いてみない?」
「友達になるなんて言ってない。それに、そういうのは全然ダメだって前にも言ったじゃないか」


 勉強や運動のように、僕は楽器もよくできない。音楽の授業のリコーダーのテストの時、盛大に間違えてクラスメイトから大笑いされたのがトラウマになっている。


「食わず嫌いは良くないぞ。ほら、いいからこっち来なさい」


 逃げる僕の手は掴まれ、ベンチに無理やり座らせられた。太ももの上に、僕の身の丈には大きいアコギが乗っかる。


「左手でこっちを掴んで、右腕は肘を曲げてここに当てるの」


 ベンチの後ろに回り込んだ雨音から両手を操られて、いつの間にかギターを演奏する構えを教え込まれる。


「雨音、僕、興味ないって――」
「黙らっしゃい! まずは弾く、話はそれから!」


 怒られてしまった。こうなった雨音はいつも以上に頑固で折れないと知っていたので、されるがままにすることにした。


「で、次にコードね。まず親指は六弦に軽く触れる。握りこむように持って、薬指が2弦のここ、中指が3弦のここ。人差し指と小指は他の弦に当たらないようにして……そう。そんな感じ」


 指に、弦の金属の冷たさが伝わる。
 その硬さで指先が切れてしまわないか不安になっていると、右手の手のひらにプラスチックの白い小さな板のようなものが渡された。形は雨粒のようだった。


「それがピックね。人差し指と親指が交差するように握るの。こんな感じで」


 見様見真似で、小さなそれを持つ。持ち方が当たっているのか分からないが、雨音はうんうんと頷いているのでいいのだと思う。


「さ、それで鳴らしてみて」


 恐る恐る六本の弦全てに当たるようにぎこちなく右手を振ると、綺麗な響きがあたりになった。
 悲しいような、明るいような、それでいてそのどちらでもないような不思議な音だった。


「怖がらないで、どんどん弾いてみなよ。こういう風に手首を振るの」


 真似するようにピックを往復させると、それらしく音が連続する。リズムをつけることで、音は音楽になっていく。


「そのまま、薬指と中指を一緒に上の弦のここに移して」


 言われるがままに、指をゆっくり移して音を鳴らす。先ほどとは明らかに違うが、でも同じような不思議な雰囲気の音が出る。
 そしてその雰囲気は、聞いたことのあるものだった。


「これって、いつも雨音が弾いてる曲?」
「そ。それの最初のところ」


 今しがた教わったその二つの形を繰り返すだけで、一つの曲の一部になっていた。小さな達成感に動かされたように、僕はずっと弾き続けた。


「ほら、できたじゃん。面白いでしょ?」
「――うん」


 どうだと言わんばかりの誇らしげな顔で、雨音は笑っていた。できたのは僕の方なのに、自分のことのように喜んでいる雨音のことがおかしくて、僕も笑った。


***