梅雨葵 3


 雨音は、雨の日にしか現れない不思議な幽霊だった。いるのかいないのか微妙な天気でも、ギターを聴けばすぐにいるのがわかった。
 そういう時、雨音はいつもベンチでギターを弾いている。
 エレキギターではなくて、なんというかいわゆる普通の、真ん中に穴の空いた木のギターだ。雨音はそれについて、詳しく教えてくれた。


「これはアコースティックギターっていうの。正しくはフォークギターなんだけど、みんなアコギって言うね」


 アコギについてよく知らない僕が言うのもおかしいが、とても綺麗なギターだと思った。特に、胴の右側に大きく描かれた花の絵が印象的だ。
 それは公園に咲いているあの見上げるほど大きいあの花に、よく似ていた。雨音はそれを僕の方に差し出してくる。


「大志も弾いてみる?」
「いい、弾けないから」
「弾いてもいないのに、なんで分かるのさ」
「分かるよ。僕、何をやってもダメだから」


 僕には、得意なものや、特技と呼べるようなものがなかった。昔から何をやっても下手くそなのだ。
 運動は苦手で、ボールは上手く扱えない。勉強も苦手で、算数はいつもひやひやする点数。歌も絵も上手くなければ、ゲームも下手くそ。漫画以外の本を読むのも嫌いだ。
 普通の人が持ち合わせている自分の好きなものという奴を、僕は持っていない。そう言うと、雨音は悲しいような顔をした。


「挑戦する前から諦めてたら、ろくな大人にならないよ。子供は、なんでもいいから夢を持つべきだ」
「そんなの押し付けだ。だいたい、夢をちゃんと叶えられる人なんて、ほんのひと握りじゃないか。そんなのは無駄な努力だよ」
「この世に無駄な努力なんてないよ。もしもそれが報われないのだとしても、人はすべからくそうすべきだよ」


 強い口調で言われた。少し、雨音は怒っているようにも見えた。


「難しい。僕にはよくわからないよ」


 僕は小学生という立場を利用して、反則的に話を終わらせる。こういう風に逃げるのは、少し得意だった。


「む、大志はもう小学五年生でしょ? そんなこと言って――」


 雨音はまだ追及したいようだったが、それは急にベンチの上に現れた何かによって遮られた。


「あ、こらノラさん! びっくりさせないでよ」


 雨音のギターのそばに黒い猫がいた。首輪がないところを見ると、野良猫らしい。


「ノラさんて、その猫の名前?」
「そだよ。私がつけたの。野良猫のノラさん。最近この公園に住み着いたの」


 名前のセンスは全くないようだ。雨音はノラさんとベンチの所有権を争っていて、しょっちゅう引っ掻かれているとのこと。
 幽霊でも怪我をすることに、雨音自身も驚いたそうだ。


「ふーん、あんまり可愛くないね」


 ノラさんは悪い意味で野良猫らしい、ふてぶてしい顔をしていた。犬のように折れている片方の耳や少し短いしっぽを見ると、喧嘩っ早い武闘派猫だというのがよくわかる。
 その頭を撫でようとしたら、思いっきり右手を引っ掻かれた。


「ほら、可愛くないとか言うから引っ掻かれるんだよ? ねぇノラさん」


 そうして喉を撫でようとした雨音も、目で負えないほどのノラさんのパンチを食らっていた。
 この生意気な猫め! と、雨音とノラさんは公園で追いかけっこを始める。ノラさんもからかっているだけのようで、公園から逃げたりはしない。


 雨音は説教したかったことも忘れたようで、僕としては好都合だった。その点はノラさんに感謝である。
 気付けば、辺りは暗くなってきていた。雨雲のせいもあって、夜は早めに訪れようとしていた。


「雨音、僕、もう帰るね」
「うん、気を付けてね」


 そういう風にして、僕は決まって雨の日は公園に寄って雨音と話をするようになった。
 結果の悪いテストをどうやって偽装して親に見せるかとか、校長先生の話の時に教頭がいびきをかいて寝てしまって、校長の顔がゆでダコのようになってたとか、そんな他愛のない話ばっかりだったけれど、僕にはそれが新鮮で楽しかった。


***