ラフノート 終章

軽音部は "七番目" にたどり着く


『……あれ? もう録音始まってる?』
『もう10秒ぐらい立ってるぞ』
『言ってよ義人!』
『義人 "先輩" だろ? でなきゃさんをつけろ。お前は一つ下の後輩だ』


 音声は、少女と少年の、春木場彩と八卦義人と思われる二人の掛け合いから始まった。春木場彩は写真の通り元気良く活発な声で、かつての久野木先生は今よりすこし凛々しい声だった。
 掛け合いの奥から、別の男女の笑い声も聞こえる。おそらくは河南誠司と久野木瞳だ。


『えっと、なんだっけ』
『まずは、自己紹介。で、次に謝る! もう、だからカンペ作ったらって言ったのに』
『瞳ちゃんまでヒドイ! じゃなかった。えっと……多分未来の軽音部のみなさん。秘密の部屋にようこそ! 私は初代軽音部、ラフノートのボーカルギターの春木場彩です』


 久野木瞳は、ハスキーな、落ち着いた姉御肌のような声をしていた。二つの写真を見たときも、四人の中で一番大人っぽく感じた。婿入りのことも考えれば、久野木先生も尻に敷かれて大変な思いをしているのかもしれない。


『あのストラトを分解して見つけた不気味なメッセージと鍵を使ってここに来たんだと思います。ごめんなさい! あれは私の仕業です。結構ビビったんじゃないですか? 腰を抜かしてたら謝ります』


「だとよ、奏太」
「うるさい黙ってろ」


 だいたい腰を抜かしたのはメッセージを見つけた時じゃない。……見つけたのが俺なら抜かしていたかもしれなかったが。


『あのギターを見つけて、修理して、それでこの部屋を探した人へのご褒美ということで、その白いレスポールカスタムを託します』
『あれはお前のギターじゃないだろ。またここに置いていくのか?』
『いいじゃない。どうせあんた達も使わないでしょ? 未来の軽音部のギタリストに任せるのが相応しいじゃん。ちなみにあれはこの部屋に置いてあった持ち主不明のギターです。見つけてから私がメインギターで使ってました』


「謎一。なぜあのストラトは軽音部の写真に載っていないかが分かりましたね。サブのギターにするには、やたら豪華ですけど」


 ただ単に、ストラトはサブギターだったから写真に写っていなかったのか。まぁ、上手のギタリストならレスポールもストラトも使えてもおかしくない。


『それとストラトはわざと断線させました。自分で修理できるか、お金を払ってちゃんと修理するような軽音部の人に、このテープを聞いて欲しかったんです。コンバスの裏に隠したのは単純ないたずら心からですけど。もしかしたら呪いのギター見たいな都市伝説になって引き継がれているかもしれませんね。あ、学校の七不思議とかになってたら、したり顔になっちゃいます』


 えぇどうぞしたり顔をしてください。11年後には立派な七不思議になっています。皮肉なのは、春木場彩自身もその七不思議に組み込まれてしまっていることだ。


『彩ちゃん、話脱線してるよ』
『おっと、ごめんなさい。やっぱMC向いてないのかな私。えっと、未来の軽音部さん――、というわけで本題です』


 そこまでテンポの良かった音声が一度止んで少し間が空き、空気が変わっていく。








『月並みな言い方ですが――、このメッセージをあなたが聞いているとき、おそらく私はもうこの世にいないでしょう』


 それまでの明るい声と違い、するどく芯の通ったものになる。


『自慢じゃないですが、私達ラフノートは結成後の初ライブで大成功を収めました。もちろん次のライブも盛り上げるつもりでしたが、残念ながら、次のライブには出られそうにないです』


『――実は、もうほとんど指が動きません。今から二ヶ月ぐらい前から、だんだんです。検査したらどうも少し重たい病気らしくて、いずれは筋肉を動かせなくなるようです。10代で発症するのは極めて珍しいとか』


 再度、独白が止み、啜るような短い音がスピーカーから聞こえた。


『結構ギターの腕には自信があったんですが、Fみたいな、バレーコードはもう、とっくに弾けなくなりました。今は、パワーコードや、オクターブ奏法ですら、やっとです。――そう遠くないうちに、それすら出来なくなって、声も出せなくなって、』


 言葉の端々で、短く間が空き、少しづつ声は湿っていく。涙を啜る音はスピーカーの向こうと、となりからも聞こえる。


『だから――、ラフノートとして演奏するのはこれが最後です。この録音が終わったら、きっと私は治療のために、誰にも行方を告げないで、この学校を去るでしょう。そう簡単に神様に命を返すつもりはありませんが、私は、弱っていく姿を、誰にも見て欲しくないです。だって、私達は、 "ラフノート" ですから。元気をもらっちゃたら逆です』


 果たしてそれは治療と呼ぶのだろうか。俺の想像している病気と同じだとするなら、その病気には11年たった今でも治療法はなく、進行を僅かに遅らせることしかできない。
 長くても5,6年で、呼吸が困難になる、難病に指定されている病気だ。


『本当は、もっとたくさんの人に歌を聞いてもらいたかったけど、それは誠司達に任せます。――私は初代軽音部、いや、ラフノートというバンドとして、あなた達未来の軽音部に勝負を挑みます。軽音部らしくいえば、対バンをしましょう』




 最初のような明朗な声でも、弱りきった涙声でもない、力強い透き通った声で宣戦布告された。




『今から演奏する曲は、私が、私の人生の全てを叩き込んだ曲です。あなた達に、この曲が越えられますか?』


 もしかしたら彼女は、俺達を諌めているのかもしれない。走り抜くしかなかったその道の先で、歩けなかったその道の先で、無為に時間を消費して胡座をかき、ぬるま湯に使っている軽音部に、部長として喝を入れるつもりなのだ。


『軽音部にこれ以上の言葉は無粋でしたね。曲名は――、私達のバンド名と同じラフノートです』


 言葉はそれを最後に止んだ。
 初めて聞く、11年前に封じ込められたテープから、アンプで歪んだエレキギターの "聴き慣れたリフ" が聞こえてきた。


「おい、このリフ……!」
「どうして、リバーブのIf noteが……!?」


 綾人も奏も気づいて驚愕に目を見開いているが、思考を掘り下げるよりも早く、厚いリズムギターの伴奏とドラム、ベースが飛び乗ってきた。
 音の高さは違うが、間違いなく最近聞いているIf noteそのものだった。


 春木場彩は荒々しくも透き通った、何よりも凄まじい声量で、万感を圧縮したような声で、歌詞を歌い上げた。
 Aメロの部分からやたら力のこもった歌声だったが、サビに向けたBメロでは一度押し殺される。まさに、にじみ出てくる感情を無理やり閉じ込め殺すような声だ。
 それに合わせるようにドラムもベースも静かに動くが、確実に曲全体の緊張感を蓄えていく。


 サビの直前で一時、演奏が止む。
 ボーカルが短く、しかしながら大量に息を吸う音だけが小さく響いて、部屋の全てが、一拍にも満たない間だけ静寂に沈む。


 次の瞬間には、無音を引き千切るような歌声が、全ての楽器の音を引き連れて雪崩のように部屋を震わせた。


 音質の悪いラジカセのスピーカー越しでもはっきりと分かる、あまりに圧倒的で、他の追随を許さない歌声と演奏だった。
 同じ高校生というのが信じられない。単純なリフなのに耳に響いて離れない。心が震えて止まらない。


「……ありえねぇだろ……こんなの……」


 一度サビが終わったところで、綾人が眼鏡を直しながら震えた声で述懐した。言うとおり、有り得ない。まるで歯が立たず、比べ物にならないレベルだ。リバーブのIf noteを聞いた時以上の衝撃だった。
 同じ曲に思えたが、そこから先の曲の展開と歌詞は微妙に違っていて、If noteにあった曲の一部が欠けていた。いや、時系列を考えれば、後から追加されたものなのかもしれない。理由はわからないが、こちらが原曲ということだろう。


 最後のサビが終わり、アウトロに入る。特徴的なリフが繰り返され、曲が終わるかに思えたが、春木場彩の演奏するリードギターだけが止んだ。


『……って、ちょっとあんた達! もう曲は終わってるよ』
『何休んでんだリードギター! まだ終わってねぇぞ!!!』


 このテープの中で、初めて聞く少年の声だったが、どこかで聞き覚えのあるものだった。


『誠司……!』
『誠司の言うとおりだよ。――最後でしょ? 思う存分弾きなよ』
『ラストセッションだろ? ほら、誠司も好きに鳴らせ!』
『……ホント……バカばっかり……!』


 そこから、彼らのセッションが始まる。河南誠司がテクニカルなフレーズを繰り出すと、シンプルだが耳に残るリフを春木場彩が返す。彼らの姿は見えなかったが、きっと笑っているだろう。
 音を楽しむということに、全力になっているのが、初心者の俺でも分かる。




 ――日没後、なお残り空を照らす光。それで "残光" の歌か。いいセンスだが、残光と呼ぶにはあまりに眩い光だ。そして、その曲名は。


「奏、ラフノートのラフの意味って分かるか」
「ラフは多分、ラフスケッチのラフと同じ、荒削りや未完成って意味ですね」
「なら、未完成のノートって意味か」


 涙を湛えながら、となりでくすりと笑う。


「奏太さん、英語は苦手でしたっけ? 日本語のノートは英語でノートブックですよ。ノートという単語には色々意味がありますが……、この場合は音と訳すのが適切だと思います」
「つまり、未完成の音か――」


 ずっと続くかに思えた最後のセッションに、終わりが見えた。まずドラムが先に止み、次にベースもフェードアウトしていく。それでも二人のギターは鳴り続ける。


 名残を惜しむように、未練を噛み締めるように、別れを呪うようにギターは歌う。


「……こんなの、悲しすぎます」


 奏は双眸からこらえ切れずに、涙を落とした。悲哀すらもねじ伏せて音楽に昇華させた春木場彩の強さに、俺もただただ圧倒されていた。


「なぁ綾人。俺達、越えられると思うか?…………綾人?」


 いつもの軽口が返ってこない。お前も泣いているのかと茶化すため振り返った瞬間、床に崩れ落ちる人影を見た。


「綾人!?」 
「綾人さん!?」


 奏も鈍い音に振り返る。綾人は床に頭を打ち付けてうつ伏せに倒れている。いつも彼がつけている眼鏡も床に転がっていた。


「よお刺巻、久慈。練習もしないで、こんなところで何をしているんだ?」


 わずかに開いていた扉は、ノブを上げたまま無情に閉じられる。そこに立っていたのは、右手にスタンガンを携えた軽音部部長の仁先輩だった。


***