ラフノート 第三章

オレンジドロップは久慈奏のこだわり


「アハハハハ! お前ら、面白いなぁ!!」
「先生はさっきの放送といい、いつもタイミングに悪意を感じます」


 俺達の絶叫に、最初は久野木先生も驚いたが、その後、ひたすら笑っている。なぜなら。


「だってよ。絶叫するだけならまだしも、驚いて飛び上がって腰を抜かすなんてよ!!」
「奏太さん、腰大丈夫ですか? 手を貸しましょうか」


 心配そうに奏が手を差し伸べてくれたが、今はその優しさが辛い。床に片手をつき、もう片方の手を奏に引き上げられながら、ゆっくりと立ち上がる。


「なんか生まれたての子鹿みたいだね」
「見ろよ、膝プルプルしてるぜ」
「お前らだって驚いて悲鳴上げてたろ!? 笑うなよ!!」


 腰を抜かしたのは俺だけだった。綾人と夏希は指を差して笑い、奏までもちょっぴり笑っている。ついでに俺の膝と腰も笑っていた。反射的に立ち上がった時に、限界を超える力で行使されたのであろう。


「そんなことより先生。呪いのギターを見つけたんですよ」
「なるほどなるほど。その腰は呪いでやられたのか」


 腰から話題をそらそうとしたが、ダメだった。腰の話はもうやめろ。しつこい。


「――ていうか、これは呪いのギターなんかじゃねぇよ。しかし懐かしいな」


 久野木先生は抱腹絶倒の限りを尽くした後、ハードケースのエレキギター、――メーカーのロゴは入っていないが、ストラトキャスターの形をしているそれを久野木先生はゆっくり持ち上げた。


「パープルハートのネックでしょうか? とても珍しいですね」
「おぉ。よく知ってるな久慈。超希少な木材だ。ネックに一本まんま使うなんて滅多にない。しかもボディは豪快なフレイムメイプルトップだ」


 そのストラトのネックと指板は、赤紫色だった。ボディの炎のような波模様と赤い塗装も目を引くが、こちらの方が目立つ。
 パープルハートという、元から赤紫色をしている木を使ってるらしい。さらに毒々しく錆び付いた弦が一層不気味さを醸し出している。ピックガードすら赤いべっ甲柄で、とにかく赤々しいギターだった。


「先生のギターですか? 使わないなら私に下さい」
「いやいや、ギターをなくしたばっかりの俺に使わせろよ?」
「奏太にはもったいないよこんなレアなギター。私が大事に使うから」
「勝手に話を進めるな。そいつは俺のギターじゃない」


 所有権を言い争う俺と夏希の間に、久野木先生が割って入る。


「昔の軽音部員のだ。――ボーカルギターの女子生徒で、歌もギターも結構上手かった」
「その子、可愛かったっすか?」
「重要なのはそこか? 綾人」


 俺が突っ込むと、当然だろと力強く綾人は返事をして、夏希から肘鉄を食らっていた。そんな俺達を見ながら短く笑い、どこか遠くを懐かしむ表情で先生は続けた。


「そうだな、思えば結構美人だった。誰にも弱さを見せないって感じの、強がりな奴だった気もする。もう11年だか、12年も前だけどな。《ラフノート》ってバンドのリーダーだったよ」
「そんな前から、軽音部ってあったんですね」


 もっと歴史が浅い、最近できた部活だと思っていた。


「いや、そのバンドが初代軽音部だ。多くの先生方が反対する中で、なんとか結成したのさ。天真爛漫で、人をからかうのが好きで――、強がりで真っ直ぐで、破天荒な馬鹿だった」


 部活を新たに作り上げるような人物なのだから、それは大層、型破りな性格だったことだろう。回想する先生に、綾人は無粋なことを言う。


「つまりこれは初代軽音部から受け継がれし、由緒正しきギターってわけっすね。軽音部のものってわけっすね」
「言質を取らなくても、俺が持ってったりしないから安心しろ。ところで、文化祭ライブの曲は決まったのか?」
「まだ全部は決まってないですけど、一曲目はReverb of those daysっていうバンドのIf noteをコピーして演奏しようって考えてます」


 昨日の会議で決まったようだ。おそらく綾人が夏希にもあの曲を教えたのだろう。それを聞いて久野木先生は、ほう、と興味深そうに頷く。都市伝説的なバンドなのに先生が知っているのが意外だ。


「リフはシンプルだが、リズムキープは難しいぞ? ま、Fは弾かなくていいけどな」


 俺の方を見てからかっている。だからFの話はやめろ。


「まぁ、そのストラトは刺巻が使うといいだろう――、が、その前にだ」

 




「早く、コンバスを運んでくれ。業者さんが待ってるんだ」


 ――腰と膝が笑って、かつ腕が死んでるのに運べるだろうか。


***



 俺と綾人はコンバスを一階まで運び、業者さんに受け渡してやっとお役御免になった。
 お礼のジュース(綾人がせびったものだ)と音楽室の鍵束を渡すと久野木先生は、吹奏楽部の合宿に旅立っていった。しかし鍵を渡すなんてあの先生は生徒を信用しすぎじゃないだろうか。


「もう今日は腕上がんね。ドラムもたたけない。スティックも無理」
「俺も、せっかくストラト手に入れたけど、今日は無理」
「二人共、お疲れ様でした。今日の午後の部活はもう休みにしましょうか」


 奏の天使のような優しさがまたも身にしみる。お昼はまだだったが、今日は心身共に疲れきってしまった。


「奏太いいの? せっかく手に入れたストラト試し弾きしなくて」
「確かに、音が出るかの確認ぐらいはした方がいいかもしれませんね。私がやっておきますから、奏太さんは休んでてください」


 奏は試奏のために、アンプを繋いで手早く準備する。体は動きたくなかったが、勝手に口が動いた。


「ちょっと待ってくれ。最初は俺が弾く」
「分かりました。後は、ギターのボリュームを上げるだけです。チューニングはしてないですが、音は出ると思います」


 奏からストラトを受け取り、ストラップを肩にかけ、ピックを持つ。ギターの重さが伝わるが、レスポールほどではない。疲れた身体でもさほど辛くはなかった。
 ゆっくりと、絞られたボリュームノブを回していくと、アンプから静かにノイズが鳴り始める。


「――じゃ、行くぜ?」


 左手でコード(もちろんFではない)を押えて、弾いてみた――が、アンプから音は出なかった。


「あれ、アンプのボリューム絞ってる?」
「いや、それは大丈夫です。ちょっと貸してみてください」


 奏はストラトを受け取ると、ノブを回したり、セレクターを切り替えたり、ケーブルを差すところに手を触れたりしている。それだけでわかるのだろうか。さすが、俺の師匠。しかし、残念そうに奏は首を横に振った。


「電気系が故障していますね。ジャックか、どこかが断線しているか、アースが短絡しています」
「そんな、せっかく新しいギターが手に入ったと思ったのに!」


 詳しい症状は聞いてもわからないが、とにかく壊れているということは分かった。上げて落とされた。もうダメだ。心が浮き沈みしすぎた。今日は何も考えたくない。


「大丈夫です。このぐらいなら私でも直せます」
「マジで? 久慈さんすごいな」
「それほどでもないです。ただ、直すまでは少し時間がかかります」


 綾人も驚いている。さすが、俺のギターの師匠。演奏だけじゃなくて本当にメンテナンスまでできるとは。


「いくら奏でも今日中は無理だよね?」
「んー、ピックアップ以外の部品なら持ってますし、うまくいけば今日中に弾けると思いますよ」


 夏希の懸念すら、奏は自信ありげに吹き払った。しかし、さすがにそこまでしてもらうのもなんだか悪い。


「無理はしなくていいぞ? 別に夏休みはまだまだあるんだ」
「いいえ、奏太さんには早くFを克服してもらわないとダメです。今すぐに直して弾けるようにします」


 こうなった奏は案外と頑固でいうことを聞かない。ここは言うことを聞いておこう。そうときまれば少し自由時間だ。奏の修理を見ていてもいいが、調べたいことがひとつあった。


「じゃ、俺、昼飯買ってくるわ。なんか買ってきて欲しいのある?」


 綾人はその間に昼飯をコンビニで買ってくるようだ。よく動いたせいで、今日は特別に腹が減っている。せっかくだし買い物を頼もう。


「カツカレーを頼む」
「私サンドイッチ、奏は?」
「私はお弁当があるので大丈夫です。代わりに、近くの楽器屋さんで弦を買ってきてもらえますか」


 ギターの修理部品はいくらか音楽準備室に置いてあるらしいが、消耗品の弦は置いてない。俺はよく切るから、この学校の近くにある楽器屋でたびたび買っていた。


「カツカレーとサンドイッチな。弦の太さは?」
「エリクサーの9~42でお願いします。レスポールから持ち替えるなら少し細くしたほうが弾きやすいでしょうから」
「久慈さん、それは奏太を甘やかし過ぎじゃないか? ギタリストはレスポールもストラトも弾けなきゃダメなんだぜ。ボーカルギターならテレキャスターもだろ」


 確かに、二台目として別のタイプのギターを使う人は多いだろうが、駆け出しギタリストに求めることではないだろう。


「まぁまぁ、最初はギターに慣れることが大切ですから。奏太さんもそれでいいですか?」
「師匠がそう言うなら、それで頼む」


 弦の太さは正直よくわからないので奏におまかせである。まだ指が慣れていない人は細い弦の方がいいらしい。
 夏希からは昼飯代を、俺からはそれに加えて弦代を受け取った綾人は音楽準備室を去っていった。


「さて、俺もちょっと図書室で調べ物してくる」
「図書室? スマホで調べればいいんじゃないの?」


 この情報社会においては、確かに大抵の調べ物はインターネットで済んでしまう。だが、今回の調べ物はちょっと特殊だった。


「ネットじゃ多分わからない。調べたいのはこの学校の文集だよ」
「文集、ですか?」


 ストラトの弦を早速だるだるに緩めながら、奏は不思議そうに聞いた。


「あぁ、文集ってよりは新聞だな。文芸部が昔から毎月出しているらしい。せっかくだから、あのストラトの持ち主のこと知りたいと思って」


 縁あって先代から受け継ぐことになったギターだ。初代軽音部のことをもっとよく知りたい。知った上で、あのギターを弾きたい。


「あ、なら私も行く。ちょっとその文集、興味ある」
「分かりました。綾人さんが戻ってきて、ストラトの修理とセッティングが終わったら、二人に電話しますね」


 というわけでストラトの修理を奏に任せ、俺と夏希というあまりない組み合わせで図書室に行くことになった。


***