すくう金魚 8


 父に抱きかかえられ、車の中まで運ばれた。シートが汚れるのも構わず、後部座席に横になるよう優しく下ろされた。
 父はすぐに車を出し、病院にすぐ行くから、辛抱していろといった。されるがままに、私は助けられていた。


「お父さん」
「どうした? どこか、他にも怪我しているのか」
「いや、大丈夫。足だけ」


 山を探し回ったのであろう父の一張羅は泥だらけに汚れ、所々が裂けていた。母からプレゼントされた、大事な背広だというのに。


「……なさい」
「ん?」
「ごめんなさい! そのスーツ、お母さんとの思い出なのに」
「いいんだよスーツなんて。娘の命が救えるなら、いくらでもボロボロにするさ」
「それに……。ずっと、無視して。子供みたいに……、本当に、ごめんなさい」
「……俺も悪かった。母さんの楽器を、そんなものなんて言ってしまって、本当にすまなかった」


 それから私は、嗚咽を漏らしながら、ずっと謝り続けた。ダムが決壊したかのように、今までの思いを、後悔を吐き出し続けて、ついでに胃の中のものまで吐き出さんばかりの勢いだったので、父はもういい寝てろと呆れていた。


「お父さん」
「もう謝らなくていいぞ陽奏。俺の方も謝り足りない」
「そうじゃなくて、私の場所。どうしてわかったの?」


 私があの山で練習していることは、誰も知らないはずである。なぜ、あの場所だとわかったのか。
 まして、事故に遭ってからたった二、三時間で、なぜ娘の身に危険が及んでいることがわかったのだろうか。


「……昔よく、あの公園に連れて行ったのを、覚えているか」
「……うん、覚えている。ブランコに乗せてもらって、夕日が綺麗だった」


 まだ小学生の頃。あの公園が大好きで、よく父にせがんで連れて行ってもらっていた。


「思い出の場所といえば、あそこぐらいしか思いつかなくてな」
「思い出の場所?」
「そう。あの場所で、陽奏が助けを求めているって誰かが教えてくれたんだ。最初はいたずらかと思ったが、電話も通じないし、いつまでも帰ってこないから、まさかと思ってな」


 待って。今日、私があの山に出かけているのを知っているのは誰もいないはず。いや、正しくは、"一匹" だけ心当たりがある。


「ねぇ、誰が教えてくれたの?」
「不思議な話なんだが、家に帰ってシャワーを浴びようとしたらな。湯船の縁に、器用に切り抜かれた新聞の切り抜きと砂利が置いてあったんだよ」


 まさか――!


「新聞の切り抜きには『思い出の場所』『助けて』って。砂利は『ハルカ』『うごけない』ってな」
「お父さん! 病院に行く前に、家に寄って!!」
「何言ってるんだ、早く検査を――」
「いいの!! お願い!!!」


***




「ハナ! ハナ、どこ!!」
「おい、どうした陽奏。あの金魚がどうかしたのか?」


 あのSOSは、きっとハナが出したものだ。家に入るなり、名前を叫びながら、激痛が走る右足を押さえつけながら二階へ這うように上がる。


「ハナ!!!」


 ハナはいた。お気に入りの金魚鉢の中に、自慢の花火の柄を見せながら。


「ハナ! ウソ!! こんなに――」


 綺麗な尾びれは、ボロボロに裂けていた。体中のウロコが剥がれ、赤く滲んでいる。何か、大きな魚に襲われたか、相当に浅いところを泳いだのかもしれない。
 そして、その体は仰向けに浮いていた。打ち上げ花火のような柄は逆さまになって、線香花火のようになっている。


「ハナ、ダメ! 死なないで!! 死んじゃ……やだよ……! 私、謝って、ないよ……!」


 その目はもう、白く濁っていた。口も、エラも、もう動いてない。


 ハナはもう死んでいた。


「これは……一体?」


 遅れてきた父は不思議そうに光景を見ているだろう。何もわからない彼にとっては、なぜ私が泣いているのかもわからないと思うが、父の目も気にせず、私はまた泣く。今日流した涙の、それ以上の量を流して。


 謝らなければならない。勝手に裏切ったと、勝手に罵った。裏切ったのは私のほうだ。助けられたのは私のほうだ。救われたのは、私のほうだった。


「陽奏、これを見ろ。――多分、お前宛てだ」
「えっ……?」


 父が何かを見つけ、縦長の水槽と石庭の水槽を見ている。縦長の水槽のクリアブックの新聞は水の中に引きずり込まれていて、中の記事は細かく破られている。
 そして石庭の水槽の中には、新聞の切り抜きがたくさん並べられていた。




『ハ ル カ この メッセージを 見ているということは 無事に助かった のだと 思う』
『バス だの ヤゴ だの を よけて 来るのは 苦労した 汚い 下水道 通って 来た』
『お前に すく わ れて 良かった 毎日 楽しかった エサ も 美味しかった』


『お父さん 大事 しろ よ 俺 最初 来た日 お 前の 誕生日 ケーキ キッチン あった ん だぞ』
『お前 寝言 で 言ってた ブランコ 二人乗り 夕日 お父さん』


『ありがとう』
『会えて 良かった 元気 過 ごせ』


 なんだ、お前は。なんでそんなに頭がいいんだ。本当に魚類か。てかオスだったのか。ハナとかメスみたいな名前つけてごめん。
 涙は枯れきって、代わりに乾いた笑いが出てしまった。


『最後 お 前の 笛 音 自由 好き だった がんばれ がんばれ 無責任 許せ』
『がんばれ ありがとう』


「……ありがとう。ハナ」


***