すくう金魚 5


 ホームセンターで買ってきたのは、いくつかの小さい水槽とそれ用の金魚藻、砂利、流木。そして金魚袋に酸素ボンベ。
 家に着く頃にはとっぷりと夜に街が沈んでいた。機材を玄関に置いて、用意されたご飯を手早く喉に押し込み、仕事に取り掛かる。


(明日も部活休みだし、全部やっちゃいますか)


 新たな水槽三つをきれいに洗い、砂利を敷いて流木や大きな石を添えていく。病気が怖いので、念のため流木は熱消毒した。
 よくよく調べたら、二日三日はエサは上げないほうがいいらしいが、エサをやるまで暴れるのでは仕方ない。新しい金魚鉢だって水質の調整が終わってないのだが、瞬間移動をされてはまるで意味がない。ハナが元気で丈夫な個体だったことが救いだった。


「うわっ!」


 そうして新しい水槽の立ち上げをやっている最中にも、ハナは突如顔を出す。しかし、カルキ抜きすらしていない水槽は居心地が悪かったのかすぐに居なくなってしまった。


「頼むから、ちょっとおとなしくしててよ」


 また、魚を飼うのか


 最近、やけに何かが話しかけてくる。今は水槽の立ち上げで忙しいので放っておいて欲しい。聞き流してカルキ抜き作業を続ける。最後にろ過器と酸素ポンプを回して、ひとまず準備完了である。時計を見るといつの間にか結構遅い時間になっていた。


 作業を終えた私は二階の部屋に戻る。ハナは最初の四角水槽でわりかし大人しくしていた。あと数日もすれば、四角水槽と金魚鉢の他に、背の高い水藻が並ぶ縦長水槽、砂利と石だけで作った石庭水藻、流木と金魚藻で作ったアクアリウム水藻が増える。
 ハナは喜ぶだろうか、それともエサのことしか気にしないだろうか。楽しみにしながら、私は床に就いた。


***




 部屋を覗く朝日に覚醒を促され、欠伸し背伸びをする。昼寝をした割には、ぐっすり眠った方だ。案の定というか、ハナはどちらの水槽にもいない。
 我慢のできない奴らしい。一階に降りて他三つの水槽を覗くと、楽しそうに縦長水槽の水藻の間を泳いでいた。


 さて、今日の本題はこいつだ。可愛い水玉模様の浮かんだ金魚袋だ。
 昨夜のうちにほかの水槽といっしょにカルキ抜きをしていた汲み置きの水がある。二つほどの金魚袋にその水を汲み、金魚藻を入れる。次に酸素ボンベから呼吸のための酸素を吹き入れ、袋の口を赤い紐できつく縛った。


「ほらハナ。こっちにもあるよ」


 その金魚袋はハナに向けてゆらゆらの揺らしてみせる。気づいたハナはこちらを不思議そうに、いや、どちらかといえば品定めをするように目を向ける。――どうだ?


「来た!」


 水槽の中からハナの姿は消え、金魚袋の中に姿を移している。やった、成功だ。即席の小さな手持ち住居だが、ハナは気に入っている模様。くるくると楽しそうに金魚藻の周りを回っている。


「さて、散歩に行こうか」


 予備のもうひとつの袋と一緒に手に持って、外へ出かける。日が昇ってまだ時間の立っていない街は、人影もまばらで閑散としている。気温も高くはなく、散歩にはちょうどいい。犬を散歩に連れ歩く人は数多いれど、金魚と散歩に行く人間は私ぐらいだろう。


 歩き慣れた町も、いつもと違うことをしながら歩けば新鮮な気持ちで散策できる。
 ハナは金のくせに外の世界に関心があるようで、カラスだったり、電柱だったり、街を歩く人々を興味深そうに眺めては尾びれを振っていた。街の人も、夏祭りでもないのに金魚を持ち歩いている私を不思議そうに見ていたが、ハナが楽しそうなので気にしなかった。


「あれ、ハナ、どこいった?」


 そうやって穏やかな朝の街を歩いている時、突如ハナがいなくなった。辺りに水場がないか見渡す。道路の向こうには田んぼが広がっている。
 まさか田んぼにでも飛び込んだのだろうか? そんなことをされてはさすがに探し出すのは不可能だし、田んぼにいるヤゴとかタガメに、ハナはすぐに食われてしまうだろう。だって、あんなに目立つ色と模様なのだ、食べてくださいと言わんばかりだ。


「お!? お前さんどっから現れた?」


 田んぼの前であたふたしている私の後ろ、道路に面している駄菓子屋の方から驚きの声が上がっている。心当たりのある私は、声の主を探して駄菓子屋の中をこっそり覗いてみる。
 腰の曲がったお婆ちゃんの視線の先にある水槽の中で、覚えのある花火が泳いでいた。先住されていた金魚に追いかけてちょっかいを出している。


「こら、ハナ!」
「あら、飼い主さん?」


 しまった。なんと説明しよう。瞬間移動、等と言って信じてくれるだろうか。私が謝罪と挨拶の間の、なんとも言えない日本人的曖昧な顔をしていると、駄菓子屋のお婆ちゃんの方が先に声を発した。


「……ん? あんた、美波さん家の?」
「え、あ、はい」
「あらー、久しぶりねー。こんなベッピンさんになっちゃって」


 田舎特有の謎のネットワークにより、私の存在はお婆ちゃんに知られているようだった。思えば小学生の頃、この駄菓子屋までよく遊びに来ていた気がする。


「お父さん、元気かぁ?」
「……えぇ、まぁ、元気にしてます」
「父一人、子一人で大変ねぇ。大丈夫? 喧嘩してない? 反抗期きたら男親一人なんて大変よって、みんなで昔ホント心配してたんだよぉ」
「大丈夫です。たまに、喧嘩はしてますが」


 私は嘘が下手クソだ。顔が引きつってしまうのですぐに虚言が露呈する。きっと今も、そんな顔をしていたのだろう。お婆ちゃんは労わるような優しい声で、しわだらけの顔をニカっと笑いながら言った。


「……ちゃんと、お父さんとお話しなさいね。寂しがってるよ」
「……はい」


 多分、顔から判読する以前に、ご近所からみたら家庭事情なんて筒抜けなのだろう。
 中学の時の小さなすれ違いからここまで発展してしまった不和。放っておけばいつの間にか戻っていると思ったけども、調停の機会を逃し、ここまで引きずってしまっている。擦りすぎて、擦り切れそうになってしまっている。


「って、そうだった。さっき、知らない金魚が……あれ?」


 その疑問符で我に返り、ハナを回収しなければと思ったが、駄菓子屋の水槽にはすでに花火柄の金魚はいなかった。私は手に持った金魚袋にハナがいるのをちらりと見て隠す。


「気のせい、かね? さっき見たことない金魚が――」
「お、お婆ちゃん! パインサイダーとココアシガレット、ちょうだい!」
「え? あぁ、はいはい。サービスで180円ね」


***




 翌週。夏休み明けの最初の週は、ずっと雨が降り続け、一気に気温が下がっていた。休み明けの初休日のこの日は、かろうじて曇り空にとどまっているという印象だ。
 一方ハナは部屋に置かれた五つの水槽の中を次々と飛び回っていた。何かを訴えている風に、せわしなく尾びれで水面を叩いている。


「なに? また散歩行きたいの?」


 こくこく頭を縦に振って頷いている。金魚ってこんなに知能高かったんだ。だが、いつぞやの駄菓子屋の時のように、急にいなくなってもらっては困る。外の天気もあって、散歩に連れ出すことはなかったが今後もあの金魚袋を使うのは気が引ける。


「いなくなったりしない? 大人しくしてる?」


 再度首肯。金魚が首肯というのも不思議な話だ。携帯電話で明日の天気を調べる。久しぶりの晴れマークだ。仕方ない。山の上の練習もしばらくやっていないし、散歩に連れてってやるか。


「明日、晴れてたら連れてってあげるからね」


 そう聞くと、嬉しそうに五つの水槽を行き来して、各水槽の水面を叩いている。柄も相まって、まるで花火でも見ているかのようだ。パフォーマンスは構わないが、水を撒き散らすのはやめてほしい。
 蓋をしている水槽はともかく、金魚鉢は水が畳にこぼれている。あーあ、と文句を漏らし、こぼれた水をティッシュで拭き取っていると頭上の金魚鉢でハナがゆらゆらと回っている。


「なに? お腹空いた――え!?」


 瞬間移動にも驚いたが、今度こそ度肝を抜かれた。いや、瞬間移動の方が物理的にはすごいのだけれど、こちらはこちらで、動画にしてネットに上げれば驚天動地間違いなしだろう。


「ハナ、新聞読みたいの?」


 三度頷く。金魚鉢の底には、アクアリウム水槽か石庭水槽から持ってきたのであろう砂利がいくつか置かれている。その砂利が『し』『ん』『ぶ』『ん』と並べられている。
 金魚のふりをした神様なのじゃないかと疑うほどに、ハナは知能が高いようだ。てか、新聞とは。今時、人間でも読まない人がいるというのになんだこの魚は。


(あったかな……)


 私は新聞を読まない。でもこの家には新聞が届く。私は読まないが。一階に降りて、リビングを見渡す。いつも自分が触れないものは、どこにあるのかわからない。辺りをキョロキョロしていると、何かが言葉を放った。


 何を探しているんだ?
 ……新聞


 ここは聞き出したほうが早いと思い、ぼそりとつぶやく。珍しく、土曜日なのに家にいるようだった。


 キッチンのテーブルの上だ


 そう言われキッチンへと向かう。あった。私は日経新聞を抱えて二回の部屋に戻り、ハナへとガラス越しに見せる。ハナは背の高い水槽で舞っていた。


「これ、読むの?」


 ハナは頷いた。完全に人の言葉を理解している。とんでもない魚だ。もう慣れたけど。
 新聞を開いて、水槽に貼り付ける。が、ハナは一瞥すると不満気にアクアリウム水槽へと移り、砂利を口で挟み始めた。またメッセージを作るつもりだろうか。


「なか、に?」



 ハナが金魚鉢に作った文字は『中』『に』だ。ついに漢字まで使い始めた。新聞を水中に入れて欲しいのだろうか。
 しかし、そのまま入れてしまっては水槽の水が悪くなってしまう。何か手はないかと、机の引き出しを開けてみると、クリアブックを見つけた。口は上だけ空いているし、透明なので水の中でも問題なく見えるだろうと思う。


 さっそく新聞の記事をハサミで切り抜いてクリアブックに入れて、縦長水槽の中に入れてみた。待ってましたと言わんばかりにハナは "飛び" 込んできて、食い入るように見ている。
 なんとページを読み終えると、器用に次の一枚をめくっていた。しかし政治の記事なんかみてわかるのだろうか。


(ふふ。本当に変な金魚)


 心の中で笑い、私はすることもないのでインターネットの海をぶらつくことにした。最近見つけた、なかなかに面白い推理小説を小説サイトに投稿している人が新作を上げているようなので、今日はここから読みふけるとしよう。


 その日は、エアレーションの音とマウスとキーボードの操作音が、外の雨音を伴奏に、部屋の中で鳴り続けていた。


***