食人植物 9


「――もう、来てくれないのかと思いましたよ」


 エヴァは生きてはいた。が、数日前より痩せこけ、だいぶ弱っているようだ。血が置き換わり、不老不死から遠のいているのは明白だった。


「ごめんなさい。……その、体は大丈夫?」
「はい。少し弱りましたが、一応まだ」


 笑うが、力はない。少し見ない間に、神樹の血がかなり多く回ってしまったようだ。これを食べてと、カラスにもらった枝からリンゴを一つちぎって差し出し、落としてしまわぬように右手を支える。


「ありがとうございます。これは、最初にもらったリンゴですか」
「えぇ。多分、今年最後のものね」


 エヴァは弱々しくリンゴを咀嚼している。優しく笑うところを見ると、少し時期外れでも美味しいようだ。


「神樹様は召し上がらないのですか?」
「両方とも、エヴァが食べていいわよ」
「美味しいですが、そんなに食べられませんよ。どうぞ、神樹様が召し上がってください」


 エヴァに譲られ、リンゴを齧る。口の中に、甘い酸味が広がった。リンゴってこんなに美味しかったろうか。その味を忘れる程に、果物を食べるのは久しぶりだった。


「……あの、エヴァ――」
「神樹様! 空を見てください!」


 エヴァは、小さな切れ間から空を指差す。言われて見上げると、さっきまで曇っていて何も浮かんでいなかった空に、僅かに星が浮かんでいる。


 いつもの空じゃないか。そう文句を言おうとした瞬間。切れ間を縫うように、一つ、二つと光が通っていくのが見えた。


「あれって!」
「星の雨ですよ、見に行かないのですか!?」
「行く!」


 神樹は二人の足元で大量のツタを操り始めた。互いが複雑に絡み合い、樹の周りを囲んでいく。まるで蛇が巻きついていくように。


「神樹様、これは?」


 編まれた蛇は、幹を登るための階段になった。エヴァは恐る恐る足元を確かめている。


「一緒に、エヴァも見に行きましょう!」


 頷くエヴァの手を力強く握り締め、空を目指して神樹とエヴァは駆け上がった。


***



「綺麗――!!」


 望む空には、幾千の光が闇を埋め尽くすように、まさに雨のごとく降り注いでいた。いつもは夜空の主役を務める月も今日は霞んで、探すのに苦労するほど。昼と見まごうほどの明るさに、森もざわついていた。


「すごい……。前、私が見たときとは比べ物にならない星の雨です」


 神樹とエヴァは、広げられたツタの上で、寝そべるように空を――、満天の空を見上げていた。
 光の洪水はいつまでも留まらず、月明かりよりも明るく大地と森を照らす。村の人々は怯えているだろうか。こんなにも綺麗なのに、もったいない。


「雨なんて規模じゃないわ。これじゃ嵐じゃない」
「ふふ。そうですね。まさか、もう一度星の雨を見ることが出来るとは思いませんでした」


 握った手を離さないまま、二人で星の嵐を見る。手の温かさが、寒空のためによく伝わってきた。暖かい。血の通った、人間の手だ。


「神樹様」
「何?」
「最期に、星の雨が見られて、本当に良かったです」
「最後なんて、やめてよ」


 まるで、もうすぐ死ぬみたいじゃないか。


「この一ヶ月、一緒にお話できて、楽しかったです」
「あたしもよ」


 それは神樹にとっても同じ。ここ200年生きて、一番幸せな一ヶ月だった。握った手に力を込めながら、それを伝えた。


「ねぇ、エヴァ」








「……エヴァ?」


 神樹はエヴァを抱き寄せた。まだこんなにも暖かい。それなのに、もうエヴァは返事をしなくなっていた。


「エヴァ――」


 エヴァの体を、幹に預ける。沈み込んでいくに連れ、記憶が神樹に流れ込んできた。普通の少年だった頃の記憶、生きながら人体実験された記憶、逃げるために旅をした記憶。星の雨の記憶もあった。エヴァの言うとおり、今目の前に降り注いでいる雨の方が派手で美しい。


 そういった記憶の方が長くて多いはずなのに、エヴァの記憶はここ一ヶ月のことで埋まっていた。神樹がよく見知った、この森の記憶だ。開けた場所の真ん中で、大きな樹に寄り添う少女が楽しそうに笑っている。
 興味津々に話に聴き入り、喜怒哀楽の表情を目まぐるしく浮かべている。忙しそうな少女だ。ずっと自分の姿を見ていなかったので、それが自身であることに気づくまで時間がかかった。


 そして最期まで彼の意識で揺らがずに残っていたのは、左手の暖かさと、夜空を飾る星の晴嵐だった。その気持ちは、彼の人生の中で、最も安らいでいた。


 ずっと見たかった、綺麗なハッピーエンド。彼の人生は、綺麗な物語だった。


 神樹の頬を、誰かの雫が濡らした。そうか、思い出した。この気持ちは――。


「酷いよ、エヴァ。こんなに振り回して、一人で死ぬなんて」








 少女はエヴァの体に残っていた血を吸った。