食人植物 6


 神樹は樹の上で目を覚ます。いつもは葉に光を遮られた薄暗い森の中で起きるが、今日は樹の上で寝たために、強烈な直射日光で強制的に覚醒する。
 瞼を擦りながら降ると、エヴァはもう起きていた。


「おはようございます、神樹様」
「おはよう、エヴァ。今日はあなたが早いのね」


 とは言えエヴァは神樹の根に繋がれて自由に動けないので、やることもなくぼーっとしていたらしい。


「ごめんなさい、暇だったでしょう?」
「いえ、何もすることがないというのも久しぶりなので、これはこれで良かったです」


 確かに、逃亡生活をしていた時なら呆けている暇などないだろう。はじめにあった時より、エヴァの顔は安らいでいた。


「そういえば、エヴァ。お腹は空かないの?」


 今までに捕えた人間は、何か食べさせないとすぐに死んでしまっていた。これはエヴァも例外ではないと思い、神樹は尋ねた。


「そうですね。ひと月ぐらい食べなくても死にはしませんが、お腹は空きますね」
「果物ならあるけど、食べる?」


 ぜひ、とエヴァが言ったので、森に住み着いているカラスにリンゴを取りに向かわせる。すぐに一つの真っ赤なリンゴが、神樹の根元に届けられた。


「すごいですね。動物を操れるのですか?」
「操るのは無理よ。お願いして、取りに行ってもらったの。はい、リンゴ」


 動物も自然の一部だ。操るなんてことはできない。あくまで下手に出てお願いして、やってもらうのだ。
 お願いして採ってきてもらった赤いリンゴを、神樹はエヴァに渡した。


「――美味しい。とても甘いリンゴですね」
「でしょ?」


 この場所より更に奥の、誰も立ち入ることができない程奥深くの森の迷宮に咲いている秘密のリンゴだ。


「多分、人間で食べたのはエヴァが初めてよ」
「神樹様は食べたことがないのですか?」
「いや、あたしも食べたことあるけど、人間ではないし」


 正確に言えば元人間なのだが、今は人々に恐れられる、200年という長い時を生きる魔物だ。


「ちょうどいいわ。昨日約束した、あたしの昔話を話してあげる」


***




 神樹は今からだいたい200年前、毎年生贄を出してくるあの村で生まれた。


「神樹様も、あの村のご出身だったのですね」
「ええ、あの頃から、寂れた農村だったわ」


 当時は、当然生贄の文化なんてない普通の村。神樹もまだ人間の少女だったため、人喰いの樹は存在しない。


 だが、名産品があるわけでもない、牧畜できるほど広い土地もない。小さな土地を目一杯使って、やっと領主に収められるだけの農産物が得られるだけ。
 必然的に、男は街に出て傭兵等を生業にしていた。


「そして女は、身売りされる。農作業に必要な人は残るけどね」
「ひどい……!」
「仕方ないわ。それがあの村を成り立たせてきたんだもの。それに、結構高く売れたのよ?」


 流れる血のせいなのか、村には美しい少女が生まれることが多かった。このためその筋では有名な、貴族ご用達の村だったらしい。
 少女達も寂れた村で一生終えるよりも、妾となって逆転できる可能性のある方を選ぶ者が少なくはなかった。


「人の事をそんな風に扱う村だから、生贄なんて文化が生まれたのかもね」
「生贄が始まったのは――」
「あたしが神樹になってからだいたい数十年……の前に、あたしがこうなったのを話すのが先かしら」


 神樹も例に漏れず、貴族に売られた少女だった。本当は村でリンゴの栽培をしている方が好きだったが、金になるからと両親が売りに出したのだ。


「あたしは、それなりの値段が付いたみたいで、多くの貴族が買取希望ということだったらしくの。それで、色んな貴族の間を売られて移っていったわ」


 そしてその内に、カシギという男の元にたどり着いた。


「カシギは遥か東にある国で生まれた学者だった。好事家の貴族が、学問を修めに来ていたカシギの才能に目をつけて身柄を引き取ったの」


 カシギは穏やかな優しい人間だった。神樹は、自分と似た境遇にいたカシギに恋をした。だが、それが神樹の運命を狂わせることになった。


「カシギはあたしを騙して、ある植物の種を飲ませた。カシギは植物と人間を融合させる研究をしていたの。その実験の成果をあたしの体で確かめた」
「そんな――神樹様とは恋仲ではなかったのですか?」
「あいつらには、そういう概念はないの。ひたすら自分の研究に向き合って、真理を探す。そのためなら、恋人の命なんて軽いらしいわ」


 実験の後で、詰問したあたしに、カシギが放った言葉だ。


「カシギの思惑通り、実験は成功した。あたしの髪は深緑色に変化して、背中からはツタや根を伸ばせるようになった。まだ、樹の本体が肩からちょんと生えてるぐらいに小さかったから、自由に動けたけど」
「それから、神樹様は……」
「殺したわ。カシギも、屋敷の貴族連中も。ツタで首を引きちぎって」


 そのあとは、屋敷で唯一友達になった人ともう一人の手を借りて、ずっと遠くまで逃げた。エヴァと同じように、必死で、ずっと森から森を、出口のない樹の海の中だけを彷徨った。


「で、いつの間にか生まれた村まで戻ってきてた。一応両親や兄妹に会いたくて、自分の家に行ったわ」


 それはまだ微かに残っていた人間らしさから来る、一種の帰巣本能なのかもしれなかった。
 自分を売った両親を恨んではいたが、なぜか会いたいと思ったのだ。


「ご健在だったんですか?」
「いや、家ごとなくなっていたわ。お金がなくなって夜逃げしたって。じゃ、あたし何のために売られたのさって話」


 神樹は空笑いをする。ひどく虚ろな、木の洞を覗いたような、そんな笑い方に、エヴァの表情は陰った。


「その後はこの森で休んでいるうちに、肩の樹が大きくなって森から出られなくなった。それからずっとここに住んでる」


 そして、時々村の人間を食べて栄養を補給しているうちに、神樹という名前を付けられ、化物として恐れられた。
 生贄の少女が現れ始めたのは、それから数十年あまりの話だ。


「だからあたしの中にある景色は、あの村と、数多の貴族の屋敷と、薄暗い森の中だけ」
「――平凡陳腐な言葉しか述べられず、申し訳ないのですが、壮絶な人生ですね」
「エヴァに比べたら負けるわ。面白くもないあたしの話は終わり。明日は、またあなたの話を聴かせて?」


 昨日と同じように、もう日が暮れ始めていた。


「これは参りました。お話の引出しが、早々に空になってしまいそうです」
「別にいいわ。エヴァの話は面白いから、何度でも聴きたいの」


 神樹が喜色満面でそう言うと、エヴァは優しく笑った。


「では、また明日」
「ええ、また明日。おやすみ、エヴァ」


 今日の別れを告げて、神樹は樹の上に登る。昔はこいつが肩に載っていたくせにと考えると、ちょっと面白かった。


 昨日と打って変わって曇りのない満天の星空だったが、今日も星の雨は降らなかった。


***